未来日記

 電子ペーパーはすでに朝刊を受信していた。

 僕は淹れたてのインスタントコーヒーと焼きたてのトーストをテーブルに並べ、電子ペーパーを開いた。

 2020(平成32)322(日曜日)――

 新聞の日付を見ると、まるで未来にでもいるかのような錯覚を覚える。21世紀になってから20年経とうというのだ。

 生きているこの日が今日であり、現在だ。別に未来にいるわけではない。

 しかし、子供の頃から見ると、確かに僕は未来にいるのではないか。

 今、開いている電子ペーパーなんて子供の頃はなかった。新聞はがさがさと音を立ててめくるものだった。読み終わった後の指先はインクで黒ずんでいた。

 電子ペーパーになってからは、めくるときは指一本で画面をなでればすむようになったし、指先が黒ずむこともなくなった。記事は自動でダウンロードされるので、邪険な音で新聞が差し込まれることはなく、小さな電子音が配達を知らせるだけだ。

 今では当たり前にある電子ペーパーも、昔はなかったのだ。未来にいる、その感覚はあながち錯覚ではないのかもしれない。

 一方で昔のままであるとも思う。

 記事がインクから電子文字に変っても、伝えることはさほど変っていない。

 相変わらずどこかで誰かが殺されているし、僕が生まれる前から紛争の絶えない国では、今もまだ火種が燻っている。左右中道問わず、いろいろな立場の人が、いろいろなことを言うが、いずれもこの国の将来を憂いていた。

 トーストを一口齧り、コーヒーをすする。淹れたてのコーヒーは思ったより熱く、舌をやけどするところだった。

 「アチッ」

 反射的に声を出したが、聞く人はいない。2020年になっても、僕はひとりだった。

 

 未来人であったとしても、日曜日はやることがない。

 朝食を摂り、朝刊を読み終えると、すべきことがなくなった。

 ゴロ寝でもするか。僕はソファの上に寝そべり、退屈しのぎにテレビを点けた。

 映像の輪郭がぼやけている。故障か?そう思ったのは一瞬だけで、すぐにテレビ用メガネをかけ忘れていることに気がついた。

 映像を立体的に映し出す3Dテレビが一般的になり、テレビを見るときはテレビ用メガネが必須になったのだ。

 僕はテーブルの上に無造作に置かれたテレビ用メガネに手を伸ばした。

 メガネをかけると、大海原を泳ぐクジラが現れ、目の前を悠々と泳いでいく。NHKの「大自然スペシャル〜太平洋にクジラを見た〜」である。3Dテレビが普及しはじめると、この手の番組が増えていった。クジラやマンタの遊泳も、ライオンがシマウマを襲う光景も、目の前で起こる。

 最初に見たときは、随分感動したものだが、最近は食傷気味である。確かに迫力はあるが、そればかり見せられてはさすがに飽きるものだ。

 いつだったか、カバがうんこを撒き散らす場面が放送されたことがある。もちろん立体映像だ。部屋中がうんこまみれになるのではないか、と思うほど迫力があったが、ここまで来るとテレビ局の暴力である。苦情が殺到したらしい。食事中の人が多い時間帯の放送であったため、尚さらだ。

 僕はクジラが去っていくのを見送り、チャンネルを変えた。

 ニュース、バラエティ、料理番組・・・・。いずれも立体映像である。

 ニュースは事件現場を生々しく浮かび上がらせ、バラエティはより騒々しくなった。料理番組は旨そうなものを目の前に並べてくる。

 あまり面白い番組はやっていない。映画はどうだろう。映画専門チャンネルにしてみる。太地喜和子のベッドシーンが部屋に飛び込んできた。

 僕はあわててメガネをはずした。誰が見たがるのか。

 テレビを消して、もう一眠りでもしよう。とにかくすることがなかった。


 ピンポーン、ピンポーン。

 呼び鈴が二回鳴る音で目が覚めた。ぼーっとした頭のまま、時計に目をやると、昼はとっくに過ぎていた。

 ピンポーン。もう一度呼び鈴が鳴った。催促されているように感じる。

 誰だろう。寝起きのだるい体を起こした。インターホンの受話器を取り返事をする。

 「佐川急便でーす。荷物のお届けに参りましたー」

 インターネットでアメコミを何冊か注文したのを思い出した。こういうとき、玄関まで小走りなのは昔からだ。

 「ご苦労さまでーす」

 僕ははずむ声で玄関を開ける。決済はクレジットで済ましたので、後は受け取りのサインをすればいいだけだ。

 サインをしているとき、僕はどこかニヤついていなかっただろうか。たぶんニヤけていた。配達のおじさんは薄気味悪く思ったかもしれない。

 ニヤついてしまうのは当然だ。僕の楽しみは食べること以外にはアメコミしかない。

 趣味なのか、生き甲斐なのか。そんなことはどっちでもいい。

 普通の生き方をすることができなかった僕に残されたのは、からっぽの生活だった。そして、その生活を埋めるのはアメコミだけである。


 夕方頃、母から電話があった。ご飯を食べに来ないか、という。

 数年前に父が他界してから、母はひとりである。そう寂しそうに暮らしているようには見えないが、時々こういう電話が来る。

 アメコミを読みふけっていたので、昼はろくに食べていなかった。腹は減っている。が、正直めんどくさい。実家までは車で20分ほどだが、わざわざ飯を食べに行く気が起きない。

 冷凍庫には「レンジでチン!メリーおばさんの煮込みハンバーグ 和風」がある。冷凍と言っても技術の進歩で、外食と変らない味である。ひょっとすると母の手料理より旨いのではないか。

 電話の向こうで、僕の気が乗らないのを察したのか母が、

 「ケーキもあるよ」と付け加えた。

 これにはぐらついた。いい歳をして甘いものに釣られるのは情けないが、僕の楽しみはアメコミのほかは食べることである。僕は車を出すことにした。

 スイッチひとつで車が玄関まで迎えに来てくれる・・・。そんなことがあればいいが、さすがにそこまでの技術はない。駐車場までは二本の足を使え、ということだろう。

 玄関を出る。気が付けば今日初めての外出だ。街はすでに夕陽で赤く染まっている。

 駐車場までの道を歩く。ついて来るのは、長くのびた影だけだった。


*続きに投稿コーナー紹介があります


ブログの書き方

  ブログの書き方というのが、僕にはわからない。僕がGOMIの公式ブログとして「春不遠」を書き始めたのが、一昨年の夏頃だから、かれこれ一年半ほど続けていることになる。が、どういう書き方をすればいいのか、今だにわからないでいる。

 こんなことを書いていいのか。もう少し違う言い回しをしたほうがいいんじゃないか。誤解を与えてしまったらどうしよう。

 そうした迷いと不安の中で妥当な線を探し、おそるおそる筆を落としていく。

 幸いなことにこのブログが元で、誰かとケンカになったり、訴訟が起こされたり、あるいはどこかの国がミサイルを飛ばしたり、ということは今のところ起きていない・・・・はず。

 しかし、ペンは剣より強し・・・・いや、口は災いの元というべきか。僕が書いた何気ない一言が、まわりまわってブラジルあたりでクーデターの引き金になってしまうことがあるかもしれない。


 もう少しラフな書き方をしたほうがいいんじゃないか、と思うこともある。

 たとえば前回書いたオフ会の記事がそれだ。三行で書ける話を三回にも分けて、だらだらと書いた。それだけならまだしも、なんだか暗い。じと〜っとした、ナメクジが這った後のような文章になってしまった気がする。

 もっと簡潔に、そしてほんわかと書けないものか。

 三行くらいにまとめて、1バイト文字で顔の表情を表したもの(顔文字のことです。素直にそう書け)を文章の末尾に添えてみるのはどうだろう。前回の記事で試してみる。

 GOMIのオフ会がありました^o^

 お酒飲んで、酔っ払っちゃいました><

 悪かったと思います^^;

 ナメクジが這った後は消えた。読むのに3秒とかからない簡潔さもいい。けど、なんだかMMORPGのチャット欄みたい^^;


 自分のことをどう呼べばいいのか。これにも迷う。

 ブログというのは多くの場合、一人称で書かれている。僕もそれに倣い一人称で書いているが、自分の呼び方というのがわからないのだ。

 つまり「私」がいいのか、「僕」がいいのか、あるいは普段話すときのように「俺」がいいのか、という迷いである。

 僕はほとんど「私」にしている。今回のように「僕」にすることはめったにない。「俺」にしたことはなかったと思う。

 一人称を「私」にしているのは、敬愛する向田邦子が書く随筆の影響だが、それよりも「私」にすることにより、やんごとなき御方が書いているように見える、という下世話な虚飾が大体のところだろう。

 もういっそ「朕」にでもして、僕は秦の始皇帝の生まれ変わりという設定にしたらどうか。

 朕は生まれ変わってGOMIの始皇帝となったぞよ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。

 朕はストリートファイター4のウルトラコンボをうまく決められないぞよ。このままだと誰かを適当に処刑するぞよ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。


 僕の例えやユーモアというのは、どれくらい伝わっているのか。一番、自信が持てない部分だ。

 腹がよじ切れるほど笑う、という表現があるが、さすがにそこまで笑う人はいないだろう。腹から飛び出た胃とか腸とか十二指腸なんかを抱えながら、血染めの部屋でひくひく笑う人がいたら、それはもうユーモアではない。

 そこまで笑ってもらわなくてもいいから、せめて口元が少し緩む程度、それも本人さえ気づくか気づかないかくらいほんの少し緩めば、僕のユーモアも報われる。

 だが、それさえも難しい。どうすればほんの少しでも、読む人の口元が緩むのか。

 すぐに思いつくのが、小学生か中学生が言いそうな類の幼稚で下品な話を並べることだ。しかし、ここをご覧になっている紳士、淑女の方々がそのような文章を目にしたら、もう二度とお読みになってはくださらない。


 結局、どう書けばいいのかわからないまま、正しいのか間違っているのかもわからないまま。
 だけど、それでも読んでくれる人がいるのなら、それでいいのかもしれない。今はそういうことにしている。

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